パシャつきについて

私はサッカー観戦の際、スタジアムで写真を撮っています。

スタジアムに行くと、それなりの数の“カメラ小僧”っぽい人を見かけます。チームによっては「カメラ専用シート」のようなものを用意してくれているケースもあったりして、もうこれはある程度、スタジアム文化のひとつとして定着しつつあるものなのかなあと思います。

人によって、重たいカメラとレンズを抱えてスタジアムへ向かう理由は色々あるのでしょう。「魅力的な写真を撮って、サッカーやクラブの良さを伝えたい」という人もいるでしょうし、「写真のスキルを上げて、いつかカメラの仕事に繋げたい」という人もいるかもしれません。

では私はどうなのかというと、実はあまり立派なことは考えていません。「なんで写真を撮っているの?」と聞かれても、かなり困ります。本当に、まあ、なんとなく。そんな感じです。

もちろん撮影する時にはそれなりに考えます。今日は暗いからISOを上げようとか、このスタジアムならこの席の方が順光で撮れそうだとか、その程度のことは普通に考えます。でもそれは、あくまで“撮る前提”の話です。そもそもなんでスタジアムで写真なんて撮っているのかと言われると、自分でもよく分からない曖昧さがあります。

だから今回は、その曖昧さ込みで、スタジアムで写真を撮ることについて少し考えてみようと思います。

そもそも、ピッチレベルにはプロのカメラマンがいます。勉強を重ね、経験を積み、責任を背負って、その日その瞬間を仕事として撮っている人たちです。

機材の差も当然ありますし、技術の差もあります。私が「えい!」と頑張って買った機材なんて、プロの世界から見たら全然話にならないのでしょうし、実際に出てくる写真の完成度もやはり違います。ピントのズレもなく、「この試合ならそこを切り取るしかないよね」という場面を、ものすごい速さで、ものすごいクオリティで出してくる。公式のSNSを見ていると、やっぱりプロって凄いなあと思います。

あと、これはかなり大きいのですが、プロのカメラマンは移動ができます。一方で、観客席から撮る側は基本的に自分の席から撮るしかありません。だからこちらはある意味で割り切りやすくて、「ここから撮れるものを撮るしかない」と思ってレンズを振ることができます。

でもプロは違います。撮影可能エリアの中で細かく位置を調整しながら、試合の流れを見て、次に起こりそうなことを想像して、撮るべき瞬間を待っている。実際に見ていても、1歩、2歩と細かく動いていることがあります。あの数歩にはきっと大きな意味があって、あれはピッチレベルで撮る人にしか分からない身体感覚なのだろうなと思います。

……と、ここまで書くと、ずいぶんプロのすごさの話をしているなと思います。でもたぶん、これは必要な前置きです。なぜなら、スタジアムで写真を撮る側の人間として、プロとの差というのは嫌でも分かってしまうからです。

だからこそ、ときどき考えます。こんなにすごいプロがいる場所で、観客席から撮っている自分の写真に、いったいどんな意味があるのだろうかと。

ここで話を大きくしすぎるのも違う気がしますし、別に私は「アマチュアカメラマンにも社会的な価値があるんだ!」みたいなことを高らかに主張したいわけでもありません。ただ、自分でカメラを持ってスタジアムへ行き、実際に撮っている以上、そこに何かしらの意味はあるはずだ、とも思います。

では、その意味は何なのか。

最初は、どうしても「プロには撮れないものを撮れる」という方向に考えが行きました。でも、これも少し違う気がしてきます。もちろん、立場が違う以上、結果的にプロが撮らないものを撮っていることはあるでしょう。けれど、それをことさらに「プロには撮れない」と言ってしまうと、少し話が強すぎる。

たぶん、もう少し正確に言うなら、プロが撮るものとは別のものを見ているのだと思います。

(得点シーンの爆発的な喜びの後の一幕で、選手同士がふざけてるところ)

プロは仕事として、その試合を代表する瞬間を撮ります。得点シーン、勝敗を分けた場面、その日の主役になった選手の表情。言ってしまえば、その試合を“伝える”ための写真です。

一方で、観客席から撮る私の写真には、そこまでの役割はありません。公式に使われるわけでもないし、誰かに求められているわけでもない。それでもシャッターを切るのは、その試合をどう見ていたか、自分がどこに目を奪われたかを、写真という形で残したいからなんじゃないかと思います。

ゴールシーンとは限らない。試合を左右した場面とも限らない。ピントだって甘いかもしれないし、構図だって理想通りには決まらない。

でも、その日その席で見ていた自分の中には、確かに「この瞬間が気になった」という感覚がある。この選手の走り方が良かったとか、この表情が妙に印象に残ったとか、得点とは全然関係ないけれど、この場面を持って帰りたいと思ったとか。たぶん、観客席から写真を撮るというのは、そういうものなのだと思います。

そう考えると、「アマチュアカメラマンの価値とは?」という問いに対する自分なりの答えも、少し見えてきます。

それは、プロの代わりになることではない。プロと同じ写真を撮ることでもない。ましてや、プロより優れた何かを示すことでもない。

そうではなくて、観客としてその試合を見た人間が、自分の目線でその試合の一部を持ち帰ること。これが、少なくとも私にとってのアマチュアカメラマンの価値なのだと思います。

プロの写真が「その試合に何が起きたか」を伝えるものだとしたら、観客席から撮る私の写真は、「自分がその試合をどう見ていたか」を残すものです。試合の記録というより、観戦の記録に近いのかもしれません。

だから私は、スタジアムで写真を撮る理由を、うまく説明できなかったのだと思います。最初から何か大きな価値を生み出そうとして撮っていたわけではないからです。でも、だからといって意味がないわけでもない。

たぶん私は、その日その場所で、心が動いたものを自分の手で残しておきたい。そのためにカメラを持って行っているのだと思います。

「アマチュアカメラマンの価値とは?」という問いに、一般論としてきれいな答えを出すことは、たぶん私にはできません。でも少なくとも、自分にとっての価値なら言えます。

それは、サッカーの試合をただ見て終わるのではなく、自分なりの視点で受け取って、自分なりの形で持ち帰ることです。観客席から写真を撮るというのは、そのための行為なのだと思います。

なので結局のところ、私はプロのような写真を撮りたいのではなく、観客として見たサッカーを、自分の目線で残しておきたいのだと思います。そしてそれが、少なくとも私にとって、スタジアムで写真を撮る意味なのだと思います。

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